「ケアを問いなおす」⸺研究会に参加してきました

2026年3月14日、日本赤十字看護大学で開催された日本保健医療社会学会の公開研究会「ケアを問いなおす⸺『介護のドラマツルギー』をめぐって」に参加してきました。

当日は、九州大学名誉教授の安立清史先生の講演に加え、法政大学の三井さよ先生、そして私たちの法人・井戸端介護の伊藤代表が指定討論者としてお話しされる場でもあり、胸が高鳴りながら会場に向かいました。

「介護のドラマツルギー」って、なんだろう?

安立先生は、九州大学名誉教授で社会学者。著書『介護のドラマツルギー⸺老いとぼけの世界』(弦書房)を村瀬孝生さんとの共著で刊行されており、今回はその内容を軸にお話しいただきました。講演の核心にあったのは、介護の現場で起きていることを「ドラマ」として捉え直してみようという視点です。「宅老所よりあい」や村瀬孝生さんがなぜ特別な存在になったのか。いくら見学しても「その実践の本質は見えない」⸺そこに謎があると先生はおっしゃいました。その謎を解くキーワードが「内在」と「ことば」でした。「内在」という方法とは、外側から説明したり「寄り添う」のではなく、内側から「沿う」こと。ウェーバーの「理解社会学」⸺「行為者は行為に主観的な意味を含ませている」⸺その視点で、お年寄りの世界を内側から理解しようとすることです。それは大きなチェンジではなく、小さなシフト。ゲシュタルトがふと転換するような、静かな気づきの積み重ねです。「ことば」の力についても、印象的なお話がありました。介護現場では「ことば」による暴力の体験がある一方で、そこから生まれる対抗のドラマもある。「宅老所よりあい」の「朝の申し送り」は、介護者たちが介護者のために語り合う場⸺そこで介護の「ことば」が創られ、更新されていくといいます。また、認知症という「病名」をつけることは、ある意味で「呪文をかけること」にもなりうる。「ぼけたら、おしまいだ」という見方から「ぼけても、いいよ」という世界観へ⸺そのシフトこそが、介護の現場に新しい風景を開いていくのだと感じました。そして、**「ドラマツルギー」**とは何か。ひとりひとりに介護のドラマがある。そのドラマを俯瞰して、起承転結や転換点を見渡す視点がドラマツルギーです。村瀬さんが25年以上書き続けている「お年寄りのエピソード」の数々は、まさにドラマのあとにやってくるドラマツルギーの作業ではないか⸺小文字から大文字の存在になる瞬間の不思議、「老人性アメイジング」の発見がそこにある、と先生はおっしゃっていました。


伊藤代表が語ってくれたこと

伊藤代表は、千葉県木更津市の宅老所「井戸端げんき」で、認知症・精神疾患・身体障害を抱えた人々と向き合い、共生ケアを実践してきた現場の人です。当日は全国の宅老所を視察して回る中で村瀬さんと出会ったことを話してくれました。村瀬さんが「はみ出していく人生」の中で自然と出会っていったのは、同世代ではなく、同時代を生きるお年寄りたちでした。舞台の上で一緒に演じるように、年寄りの時間に合わせるのではなく、今この瞬間に没頭してともにいる。そこから相互作用が生まれていった。規定通りのセリフしか言えない人もいる中で、みんな老いてボケていく。

でも⸺「あきらめることをしたから、老人と付き合えた」これは村瀬さんの著書『あきらめる勇気』の言葉です。あきらめることは投げやりではなく、現実を直視して、人間が人間として地に足をつけて日々を味わって生きていくための勇気なのだと、あらためて伝わってきました。自分の未来に対して、希望と興味をもって想像できたら⸺そんなまなざしを、私たちも大切にしたいと思います。


三井さよ先生が語ってくれたこと

三井先生は、多摩地域における知的障害当事者支援活動の参与観察を長年続けてこられた社会学者です。「介護の専門性とは何か」という問いに対して、先生はこう語っていました。「介護は個別性をやること。善悪ではなく、いかに個別に対応するか」そして、こんな言葉が印象に残りました。「介護は言葉だよ!」介護はとても重要な営みなのに、政策にはなかなか反映されない。訪問介護の現場を語ろうとすると、ヘルパーさんから言葉を奪ってしまうことになりかねない。だからこそ、じぶん自身に向き合う言葉を、自分たちで作っていかなければならない⸺そう先生はおっしゃっていました。

「わからない」→仮説→実施→検証。住まいは続く、暮らしは続く。その中でこそ、ことばは生まれていくのかもしれません。そして三井先生が語ってくれた言葉の中で、私がとくに胸に残ったのがこれでした。介護の現場には、【あり】の世界と【なし】の世界が、同時に内在している⸺。「可能だけど不可能」「不可能だけど可能」。そんな矛盾があふれかえっているのが、ケアの現場の実相なのだと。村瀬さんの著書のタイトル『シンクロと自由』にも重なる言葉でした。シンクロしたら、そこから外れていく。外れたら、自由になる。そしてまた1からはじめていく⸺。それは一見、矛盾しているようで、実はケアの関係性の本質を突いているのかもしれません。ぴったり合わせようとするのではなく、合わさった瞬間にそっと離れていく。その繰り返しの中に、ケアという営みの豊かさがあるのだと、私は感じました。


現場で働く皆さんへ

この研究会を通じて、私が感じたことをひとつ、現場のみなさんにお伝えしたいと思います。毎日の介護の中で、うまく言葉にできないけれど「あ、なんかいいな」と感じる瞬間があると思います。利用者さんが見せる表情、ちょっとした変化、思いがけないやり取り⸺そういう小さなドラマの積み重ねが、実は介護の本質に近いところにあるのかもしれません。「ぼけても、いいよ」という世界観。あきらめることの勇気。内側から沿うこと。難しい言葉に聞こえるかもしれないけれど、みなさんが日々やっていることの中に、すでにそれはあるんじゃないかな、と思いながら帰ってきました。

これからも一緒に考えていきましょう。

NPO法人井戸端介護 ばった庵 文責 富田

コメント

タイトルとURLをコピーしました